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2009-04-20

オバマの真価を問う中南米諸国との関係修復 青山貞一

 現地時間の2009年4月17日、カリブ海のトリニダードトバコのポートオブスペインで米州首脳会議が始まった。

 この会議は、ひさびさに北米、中米、南米、カリブ海諸国が一同に会する会議である。

 開幕式典で演説したオバマ米大統領は「上下の無い対等な関係構築に努める」と述べた。

 しかし、ノーム・チョムスキーMIT教授の言葉を借りるまでもなく、米国は歴史的に中南米、カリブ諸国を米国の裏庭とみなし、あたかも殖民地であるかのごとく扱ってきた事実がある。

 またJ.F.ケネディ大統領以来、米国はキューバを敵視し、キューバに対して経済封鎖を公然と現在に至るまで行っている事実もある。

 これら米国の中南米、カリブ諸国へのいわば「蔑視政策」は、前ブッシュ大統領において頂点に達していた。

....

 これら米国のいわば蔑視政策に対し、中南米諸国は、反米・反帝国主義を掲げるヴェネズエラのウゴ・チャベス大統領がリーダーシップをとる形で、ボリビア、ニカラガなど反米急進派だけでなく、ブラジル、アルゼンチン、さらに穏健派諸国を巻き込む形で反ブッシュ包囲網を形成してきた。

 そのウゴ・チャベス大統領は、国連でブッシュ大統領を「悪魔」呼ばわりする一方で、フィデル・カストロ前キューバ革命会議議長らキューバ政府の立場をあらゆる公式の場で代弁してきた。
 世界各国にとって「悪魔」であったブッシュ政権から、米国では黒人初のオバマ大統領となったが、実は今回の米州首脳会議にもキューバだけが出席を拒否されていた。歴代、米国の大統領が拒否権を発動してきたからである。

 ところでこの会議で、オバマ大統領は「アメリカ政府はキューバと、人権・表現の自由、民主的改革など、幅広い問題について協議する用意がある」と述べ、長年対立してきたキューバに対し、「アメリカは新たな始まりを求めている」と呼びかけた。

 これに対し、変米の雄、チャベス大統領は、「米国よりキューバの方が民主主義がある」と持論を展開、民主化への取り組みの遅れなどを理由にキューバのOAS復帰を拒む米国を批判した。

 客観的に見て、ケネディー大統領がキューバへの経済封鎖を行ってこの方、米国の歴代大統領がとってきたキューバ敵視政策は、チャベス大統領の言を待つまでもなく、まったく時代にそぐわないものである。いわば旧ソ連との間での冷戦構造時代の歴史的遺物のようなものである。

◆青山貞一:米国の経済封鎖、オバマ大統領は封鎖解除を! 

 またブッシュ政権時代を見れば分かるように、米国は対外的に人権だ民主主義だと声高に叫ぶ割に、アフガン、イラクなど中東諸国にエネルギー新殖民地主義的な侵略を行ったり、キューバの東端にあるガンタナモ基地に多くのアフガン、イラク、パキスタンなどイスラム人を強制収容している。

 米国は世界各国から人権無視と厳しい批判を受けており、オバマ大統領はガンタナモ基地のこの刑務所の閉鎖を公約している。

 米国の建国の理念、精神がいくら立派で崇高であっても、現実に米国が中南米諸国でCIAや軍を使い行ってきたことは、国際音痴の日本人やジャーナリズムが知らないだけで、ブッシュ前大統領がいう「テロ国家」そのものであったといえる。

 その意味でチャベス大統領のいう「米国よりキューバの方が民主主義がある」という言葉は極めて現実味をもっており、同時に言葉の重さをもつものである。

 ただ中南米、カリブには今でも米国の裏庭、殖民地的な地域や傀儡政権的国家が多数ある。その意味で、反米、反グローバリズム、反国主義を旗幟鮮明にし、物言う大統領、チャベス氏の役割は一段と大きなものとなるだろう。

 一方、私見だがオバマ大統領の真価が本当に問われるのは、欧州、日本ではなく中南米、カリブなどの諸国との関係改善が可能となるかどうか、とくにキューバへの経済封鎖経済封鎖や敵視政策を大幅に改善できるかどうかにかかっていると思う。

ブッシュ前政権と違いアピール 米、中南米と融和姿勢東京新聞 2009年4月19日 朝刊

 【ニューヨーク=阿部伸哉】十七日にカリブ海のトリニダード・トバゴで開幕した米州首脳会議で、オバマ大統領の中南米外交が本格始動した。大統領は反米左派のベネズエラのチャベス大統領と握手を交わし、演説でキューバとの対話姿勢を打ち出すなど、ブッシュ前政権との違いをアピール。左派勢力の伸長が目立つ中南米で、米国の復権にどこまでつながるか注目される。

 会議の最大の焦点は、米国から約半世紀にわたって経済制裁を受け、事実上の除名処分を受けているキューバの扱い。公式議題ではないが、中南米諸国から制裁解除を求める声が高まっている。

 オバマ大統領は開幕式のあいさつで、参加国の期待に応えるようにキューバに何度も言及。「どの国も自分の道を歩む権利がある」とし、「米国はキューバとの新たな始まりを求める」と述べた。

 クリントン米国務長官も前政権の対キューバ政策は「誤りだった」と認め、政権の方針転換を印象づけた。

 キューバを社会主義モデルと仰ぐチャベス大統領は前日、首脳会議の最終宣言案を「米国の対キューバ制裁解除が盛り込まれていない」として拒否。緊張感が高まる場面もあったが、オバマ大統領は開幕式の前にチャベス氏と握手し、融和ムードを打ち出した。

 チャベス氏は十八日、中南米の植民地支配の歴史を記したウルグアイ人作家の著書をオバマ大統領に贈呈。米政権が中南米諸国への理解を深めることを期待したとみられ、オバマ大統領は笑顔でこれを受け取った。



米州サミット開幕 オバマ大統領「中南米と対等な関係」
【ポートオブスペイン(トリニダード・トバゴ)=檀上誠】北・中南米の首脳が一堂に会する米州首脳会議(サミット)が17日、当地で開幕した。開幕式典で演説したオバマ米大統領は「上下の無い対等な関係構築に努める」と述べ、これまで「米国の裏庭」とみなして配慮を怠ってきた中南米に対する政策の転換を宣言した。

 式典ではこれに先だちアルゼンチンのフェルナンデス大統領が「序列ではなく協調を基にした関係が必要だ」と指摘。オバマ大統領が応じた格好だ。

 オバマ氏は中南米各国の首脳が求めている対キューバ政策見直しについて「米・キューバ関係は新たな方向に前進できる」と発言。中米歴訪の直前に発表した在米キューバ人の一時帰国の緩和など、対キューバ政策の根本的な見直しに踏み出したことを強調した。

 開幕式典では、反米を掲げるニカラグアのオルテガ大統領が一時間を費やし、米国の歴代政権の中南米政策を批判する一幕もあった。オバマ大統領は「自分が生まれたころに起きたことまで、私のせいだと言われなくてよかった」とかわした。(13:12)

日経新聞


OAS宣言案に拒否権も=キューバへの言及に不満-ベネズエラ大統領

 【ポートオブスペイン16日時事】ベネズエラの反米左派チャベス大統領は16日、カリブ海の島国トリニダード・トバゴの首都ポートオブスペインで17日から開幕する米州機構(OAS)首脳会議で採択予定の首脳声明について、OASから事実上排除されたままのキューバへの言及に不満があるとして、同調する他の国と共に拒否権を発動すると語った。AFP通信などが伝えた。

 チャベス氏は「宣言は受け入れ難い。時宜にかなっておらず、まるで時間が止まったかのようだ」と指摘。さらに「米国よりキューバの方が民主主義がある」と持論を展開、民主化への取り組みの遅れなどを理由にキューバのOAS復帰を拒む米国を批判した。(2009/04/17-10:15)

時事通信
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theme : アメリカ合衆国
genre : 政治・経済

2009-04-08

北朝鮮ミサイル迎撃騒ぎの裏に防衛利権あり!? 青山貞一 Teiichi Aoyama

 
 日本政府は北朝鮮のロケット打ち上げに関連し、ことさら大騒ぎをしてきた。さらに4月4日、政府は誤報を発した。もとより何一つクロスチェック、ダブルチェックをすることもなく誤報を発したのだが、当然のこととして大メディアはそれを一方的に垂れ流した。

 麻生総理はじめ政府関係者は、この正規の大誤報をいわば笑ってごまかすようだが、そもそも北朝鮮の人工衛星であれ、弾道ミサイルであれロケットを本気で打ち落とすこと自体、果たして可能か?と誰しもが思うだろう。

 日本は米国ブッシュ政権のいいなりに、イージス艦2隻、迎撃ミサイル3基を目が飛び出るほどの高額で買わされてているが、やれもしないのに実勢配備した。

 しかし、4日の誤報でも明らかになったように、日本の迎撃態勢はお粗末そのもの、「鉄砲の弾を鉄砲で撃ち落とすようなもの」と鴻池官房副長官が述べたように、そもそも迎撃など技術的にも、まさに容易でなく、無理であろう。

 技術的に見ると、北朝鮮の銀河2号が日本上空を通過する10分後には地上から300kmを飛ぶことになる。イージス艦から発射されるミサイルSM-3の上昇限度は250kmまでだから、まったく届かない。さらに地対空誘導弾パトリオット、いわゆるPAC3の射程はせいぜい設置位置から半径20km程度。近くに落ちてきた破片を破壊することしかできない。

 その意味で言えば、4月5日、昼の北朝鮮の実験がそれなりに成功したことで、ホット胸をおろしているのは政治家を中心に日本の防衛族、防衛省関係者ではなかろうか?

 実戦配備し、もし日本の領空を侵犯したとして、それにPAC3で応戦し打ち落とせなければ日本政府は世界的に恥をさらすことになることは間違いないからだ。

 ところで今回の一件で極めて不可思議なのは、本来、極秘であるはずのイージス艦や迎撃ミサイルPAC3の配備場所などをマスコミに大々的に公開していることだ。

 本来、この種の場所は極秘でなければならない。なぜなら当然のこととして、もし戦争状態になれば真っ先に相手の攻撃を受ける場所であるからだ。

 岩手と秋田に地対空の誘導弾パトリオット実戦配備されるPAC3や関係車両数10台が国土幹線自動車道を北上する映像までテレビ各局は垂れ流していた。実勢配備されたPAC3もライブでテレビに映されていた。

 さらに麻生首相は国民に危機を煽りつづけ、非公開が大前提のミサイル破壊措置命令まで公開したのはなぜか?


 「『愛国』と『腐敗』、日米防衛利権の構造」の著者でジャーナリストの野田峯雄氏は、日刊ゲンダイのインタビューに答え次のように述べている。

 「政府は自ら実戦化した部隊をつくり、戦闘への備えを進めています。これが本気なら、PAC3配備という隠して当然の軍事行動について、なぜマスコミを集めて見せびらかすのか。原子力発電所の燃料運び込みですら、ダミーの車両を走らせる細心の注意を払っています。それなのに軍事機密はジャジャ漏れで偽装工作もしない。常識では考えられないことをやっているのです」

 そんな防衛のイロハにもとる配備を行ったのはなぜか?何でかくも政府・自民党は北朝鮮ミサイル問題で大騒ぎしたのか?

 それはいうまでなく、政府・自民党は北朝鮮の脅威を煽り続けることで、イージス艦やPAC3はじめ超カネ喰い虫のミサイルディフェンス計画、通称MD計画を推し進め、関係する企業、商社ともども8000億円になんなんとする防衛利権を掌中にしようとしているからに他ならない、と考える。

 野田氏は日刊ゲンダイのインビューに応え次のように述べている。

 「(MD)計画を推進する米国に両手を引っ張られ、日本は小泉政権の2004年度からMDに予算を付けてきました。その総額は、2009年度概算要求額を含めると8087億円に上ります。これに群がっているのが、日米の軍需企業群と政治家達。とかく政治家は安全保障とか憂国の情とかきれい事を並べますが、本当の動機は不純。北朝鮮危機は防衛利権で甘い汁を吸う連中に利用されているわけです」

 たとえばイージス艦は半径500km以内にいる敵の戦闘機、ミサイルを瞬時にキャッチし、迎撃ミサイルを発射する高性能レーダーを備えた戦艦と言われている。

 イージス艦は三菱重工で作られているが各種の設計図は米国から供与されており、その価格は三菱重工、アメリカへのライセンス料、商社に払う仲介料などで明細は明らかにされていないが総額で一艘あたり1,350億円とされている。

 おそらく野田氏が指摘する点は、百も承知のハズの新聞、テレビの大メディアは、利権問題にはまったく触れず、ただ日本政府の大本営的発表を垂れ流している。 

 誤報までそのまま垂れ流しているのは、分野は違うが小沢代表公設秘書にかかわる検察リークの情報の垂れ流し同様、まさに今の日本の思考停止、機能不全の大メディアの実態を如実に示していると言えよう。

 日本の経済も外交も実態は何も変わっていないのに、麻生内閣支持率がこの数日で10%以上も上がったと言うのだから、いつもながら「おめでたい国民」という他はない。まさに、政府・メディア合作の「情報操作による緒世論誘導」、いや、「政官業学報の癒着」が一層強固な物となっている。

2009-02-02

ゲバラの生涯を4時間超で映画化 「チェ」鑑賞記  青山貞一

 エルネスト・チェ・ゲバラの生涯と活動を描いた新作映画、「チェ/28歳の革命」と「チェ/39歳 別れの手紙」を見た。 もともとこれら2つの映画は一本の映画「Che(チェ)」として作られており、それを劇場用として2本に分けたようだ。

 「チェ」の前編、すなわち「チェ/28歳の革命」は、2009年1月26日に東京都港区六本木ヒルズの映画館、「チェ」の後編、すなわち「チェ/39歳 別れの手紙」は、1月31日に東京都練馬区豊島園の映画館で鑑賞した。映画館入場料はいずれも1800円なので、「Che(チェ)」を見るためには3600円が必要となった。

 六本木ヒルズの「チェ/28歳の革命」は、そこそこ客が入っていた。が、「チェ/39歳 別れの手紙」は封切り当日にもかかわらず、約20名とパラパラの入りだ。ちょっぴり寂しさを感じた。

 映画だが、全編を通じていえるのは、きわめてドキュメント・タッチが強く、演出がほとんどないことである。淡々と事実が映像として流れる。この手法は前編でも後編でも同じだ。

 「チェ/28歳の革命」ではゲバラの国連演説など実際に撮影されたモノクロ映像と映画で新たに撮影し映像とを多面的に織りまぜ多用していた。映画で制作された部分、とくにモノクロ部分は敢えてドキュメント映像用に画質を調整していると思えるほど違和感なく溶け込んでいた。

 主演でチェを演じたベニチオ・デル・トロ(Benicio del Tro)がゲバラそっくりの姿、形、それにトロの名演が重なり、本当にどこからどこまでが当時の映像で、どこからが映画のための映像なのかが分からないほどだった。

自らプロデューサーも務めたプエルトリコ出身の俳優、デル・トロは、アルゼンチン出身のチェ・ゲバラを演じるにあたって、スペイン語の難しい訛りにも挑戦した。また退任前のキューバのカストロ議長と対面し、生前のゲバラについて入念にインタビューしたという。俳優魂に徹している。それもあり、完璧なゲバラ像を構築している。

 デル・トロは、ビートルズの一員、かのジョン・レノンに「世界一格好いい男」と絶賛されたゲバラを演ずるに最適の俳優であった。  以下は、第61回カンヌ国際映画祭で『CHE』(原題)でベニチオ・デル・トロが最優秀男優賞受賞を受賞したときの記事。

第61回カンヌ国際映画祭『CHE』(原題)ベニチオ・デル・トロが最優秀男優賞受賞!強調文

 フランス時間2008年5月25日(日) 第61回カンヌ国際映画祭の授賞式がおこなわれ、キューバ革命の英雄、チェ・ゲバラの半生を描いたスティーブン・ソダーバーグ監督の超大作『CHE』(原題)で、主人公ゲバラを演じたベニチオ・デル・トロが最優秀男優賞を受賞した!

 本作『CHE』(原題)はフランス時間2008年5月21日(水)にコンペティション部門で公式上映され、2,300人の超満員の観客から約6分間のスタンディングオベーションを受けるなど、大変高い評価を受けた。

 革命の国として知られ、チェ・ゲバラを英雄視するフランス国民からも支持されたデル・トロの演技は、体重を25Kgも減量した熱のこもりようで文句なし、審査員全員一致での最優秀男優賞受賞となった。
 ショーン・ペンから「ベニチオ・デル・トロ」の声が上がると、会場内の拍手が鳴り止まず、途中、中断させられ、ようやく止まったほどだった。審査員は全員、スタンディングオベーションで迎え入れた。審査委員長のショーン・ペンいわく、「数少ない、審査員全員一致での受賞だった」とのことだった。

【ベニチオ・デル・トロ 受賞のコメント】
(登壇後、感極まって言葉が出ず、しばらく沈黙した後) ワイルド・バンチ(制作会社)とフランスのワーナー・ブラザースにまず、感謝の意を表したい。

 この映画を実現させるという僕の長年の夢をかなえてくれた。そして何より私はこの賞をチェ・ゲバラに捧げたい。そして、ソダーバーグとこの喜びを分かち合いたい。本作の撮影は非常にハードなものだったが、自分は俳優という仕事に専念することができた。それは、ソダーバーグ監督が全て支えてくれたからだ。

■チェ/28歳の革命強調文

 前編の「28歳の革命」では、エルネスト・チェ・ゲバラが亡命先のメキシコでフィデル・カストロ(のちのキューバ最高議長)と運命的な出会いを果たし、28歳の若さでカストロとともにキューバ革命に着手し、1959年1月1日、革命を成し遂げるまでを描いている。

 この映画をみるひとは、できるだけあらかじめキューバ革命の経過を知っておく必要があると思う。

 1956年11月25日、カストロをリーダーとした反乱軍総勢82名は8人乗りのグランマ号に乗り込みキューバに向かうが、嵐の中での出航でもあり、キューバ上陸時には体力を消耗し、士気も低下していたとされる。

 映画ではメキシコのベラクルスからキューバ島に向かう船からはじまる。上陸後、シエラ・マエストラ山脈に潜伏し、山中の村などを転々としながら軍の立て直しを図る。その後キューバ国内の反政府勢力との合流、反乱軍は増強されていくさまをつぶさに描いている。

 当初、ゲバラの部隊での役割は軍医であったが、革命軍の政治放送をするラジオ局を設立するなど、政府軍との戦闘の中でその忍耐強さと誠実さ、状況を分析する冷静な判断力、人の気持ちをつかむ才を遺憾なく発揮し、次第に反乱軍のリーダーのひとりとして認められるようになっていった。

 1958年12月29日、ゲバラは軍を率いてキューバ第2の都市サンタ・クララに突入。多数の市民の加勢もあり、これを制圧、首都ハバナへの勝利の道筋を開いた。そして1959年1月1日午前2時10分、将軍フルヘンシオ・バティスタがドミニカ共和国へ亡命、1月8日カストロがハバナに入城、「キューバ革命」が達成された。

 ゲバラは闘争中の功績と献身的な働きによりキューバの市民権を与えられ、キューバ新政府の閣僚となるに至った。

 映画では工業相となったゲバラが、国連で米国帝国主義を公然と非難する演説を行う様子が延々と流れる。この演説は、YouTubeにもアップロードされているものだが、残念ながらYouTube判はゲバラの肉声が聞かれるものの、当然のこととしてすべてスペイン語であり、その内容はポツン、ポツンしか分からなかった。

 映画でも国連演説の映像と音声が使われていたが、映画では当然のこととして日本語訳がスーパーインポーズされ、ゲバラの発言内容が一字一句流れた。その内容は、まさに感動ものであった。ゲバラは米国の帝国主義とともにキューバを経済封鎖する米国を徹底的に糾弾する。

 国連演説に関連し、当時米国の傀儡政権の巣窟だった南米諸国の大統領や閣僚が次々にキューバの革命政権を中傷、非難したあと、ゲバラが演壇に立ち、それら米国の手先となっている傀儡政権の言い分を論破する。これも前編の大きな見所である。


■チェ/39歳 別れの手紙強調文

 次に後編のチェ/39歳 別れの手紙は、表題となっている別れの手紙をカストロがキューバ国民に読み上げるところから始まる。何で突然、ゲバラがキューバからいなくなったかについて、国民に説明するためだ。

 ゲバラはカストロとの会談の末、新たな革命の場として、かつてボリビア革命が起きたものの、その後はレネ・バリエントスが軍事独裁政権を敷いているボリビアを選ぶ。

 南米大陸の中心部にあって大陸革命の拠点になるとみなしたボリビアを選び、1966年11月、ウルグアイ人ビジネスマンに変装して現地に渡る。この変装もなかなか見応えがある。チェはOAS(米州機構、英語でOrganization of American States、スペイン語でOrganizacion de los Estados Americanos)の関係者に扮してボリビアのパスポートコントロールを通る。チェックは受けるものの、簡単に通過し、ボリビアに入る。

 ゲバラのゲリラ戦術は、キューバでの実戦経験に裏付けられて完成されたもので少人数のゲリラで山岳に潜伏し、つねに前衛、本隊、後衛とわけて組織的に警戒し、必要があれば少人数で奇襲的な襲撃を仕掛けるというものだった。

 ゲバラはボリビア民族解放軍(ELN)を設立して山岳地帯でゲリラ戦を展開する。

 だが、ラモス(現地でのゲバラの名前)は独自の革命理論に固執したこと、親ソ的なマリオ・モンヘ率いるボリビア共産党からの協力が得られず、さらにカストロからの援助も滞ったため次第に疲弊してゆく。

 折からボリビア革命によって土地を手に入れた農民は新たな革命には興味を持たず、さらに元ナチスドイツ親衛隊のクラウス・バルビーを顧問としたボリビア政府軍が、冷戦下において反共軍事政権を支持していたアメリカのCIAから武器の供与と兵士の訓練を受けてゲリラ対策を練ったため、ここでも苦戦を強いられる事となる。

 映画では延々と、リビアの山中と川を行き来するゲリラ部隊の映像が流れる。食糧が尽き、山岳地帯の農民の家で金を払い食糧を調達するが、それらは同時に、ゲリラ部隊の消息をボリビア政府軍に通報させるきっかけを与えるものとなった。

 1967年10月8日、ゲバラは20名足らずのゲリラ部隊とともに行動、ボリビア・アンデスのチューロ渓谷の戦闘で、政府軍のレンジャー大隊の襲撃を受け、捕えられる。部隊の指揮を務めていたボリビア人とともに、渓谷から7キロ南にあるイゲラ村に連行され小学校に収容された。

 このイゲラ村を含め、後編に出てくるボリビアの山岳地帯の貧村は、おそらく現存する村をフィルムコミッションで使ったらしく、この映画、とくに後編のすべてをあらわしているように思えた。

イゲラ村
 ラ・イゲラ、La Higuera、スペイン語で「イチジクの木」の意は、ボリビアの小さな村。 サンタクルス県にあり、サンタクルス市から南西に150kmほど離れた場所にある。標高は1,950m。 2001年の国勢調査によると人口は119名でその多くがグアラニー族である。行政区分としてはプカラ (Pucara)郡に属する。


 その意味するところは、まさにボリビアでのゲバラらのゲリラ活動は、キューバと異なり、今風に言えば「キューバから来たテロリスト」という政府軍の情報操作、レッテル張りが功を奏し、村や村人には政府軍への通報こそあれ、支援、協力がなかったということである。

 後編では、まさにそれが映像のそそかしこに表現されていた。

 上記の小学校では、ゲバラに最後の食事与えた教諭のフリア先生が現在も元気でバイェ グランデで暮しており、バイェ グランデを訪問した大部分の記者が彼女にインタビューしているそうだ。

 翌朝、イゲラ村から60キロ北にあるバージェ・グランデからヘリコプターで現地に到着したCIAのフェリックス・ロドリゲスがイゲラ村で午前10時に電報「パピ600(ゲバラを殺せ)」の電文を受信。

 ゲバラの処刑は米国CIAのフェリックス・ロドリゲスと共に到着したボリビア国軍情報局のセンテーノ・アナヤ大佐の指示で行われた。大佐は顔や頭は撃たないように指示した。

 午後0時40分にベルナルディーノ・ワンカ軍曹(現在、報復を恐れ、ボリビアから離れて米国で暮らしている)にM1自動小銃で射殺された後、ゲバラは政府軍兵士のマリオ・テラン軍曹(30年近く基地内で暮らし、顔の整形手術を経て、ボリビア東部の農園で暮らしている)によってとどめの一発を食らい死亡した。

 殺害されたゲバラの死体は、CIAのロドリゲスらとともにヘリコプターでバイェ グランデ市のマルタ病院に運ばれる。映画にはないが病院の洗濯場で一般市民、報道関係者に公開された。この洗濯場は現存するが非常に粗末な施設である。

 ゲバラの遺体は、1967年10月10日まではマルタ病院の洗濯場にあり、その後、行方が30年間極秘にされていたとのこと。
.....

 映画ではヘリで遺体が運ばれるところで終わり、メキシコのベラクルスからカストロらとプレジャーボートでキューバに向かう途中の甲板にいる無言のチェ・ゲバラがラストシーンとして映し出される。

 
■ゲバラの喘息

 これは後編でとくに言えることだが、ゲバラはわずか2歳にして重度の喘息と診断されている。

 これが示すように、39歳の短い生涯を通じ、喘息がチェ・ゲバラの活動に暗く大きな影を落としている。

 ゲバラは幼少期から痙攣を伴う激しい喘息の発作で生命の危機に陥ること度々あったという。そのゲバラは重度な喘息患者でありながら、葉巻を放さない喫煙家であった。そこに大きな矛盾を感じるのは私だけではないだろう。

 医者でもあったゲバラは、この矛盾、すなわち何度も発作で死にかかっていながら葉巻を吸い続けたことがボリビアにおけるゲバラの永続革命にとって決定的なマイナスとなったことは否めない。

 実はこの論考を執筆している私(青山)も重度な喘息患者である。

 過去、何度も激しい喘息発作に見回れ、救急車で近くの昭和大学病院の救急センターに連れ込まれた。その意味で重度な喘息の怖さを十二分に体験、認識している。

 映画の前編ではゲリラ活動の多くがキューバではシエラ・マエストラ山脈の山中にあり、後編の舞台となったボリビアでは、さらに山深く急峻な山中にあった。しかもゲバラは機関銃など重い荷物や銃を所持しながら急峻な山中を動き回わっていた。ひとたび気管支喘息の激しい発作に見舞われると、身動きができなくなる。

 実際、「チェ/39歳 別れの手紙」ではボリビア・アンデスのチューロ渓谷での政府軍との戦闘では、何度も激しい喘息発作に見舞われ、仲間の救護を得るも、動きはままならず、政府軍に捉えられるさまが映し出されていた。

 後編のなかで、チェ・ゲバラ自身、ボリビアに喘息の薬をもってこなかったことが、自分の最大の廃嫡(はいちゃく)、失敗であったと述べている部分がある。まさに、その通りであったと思える。


■イゲラの聖エルネスト 強調文

 1997年、死後30年にして遺骨がボリビアで発見された。遺骨は遺族らが居るキューバへ送られ「帰国」を迎える週間が設けられ、遺体を霊廟へ送る列には多くのキューバ国民が集まった。

 今日でもチェ・ゲバラは、中南米を始めとした第三世界で絶大な人気を誇るカリスマ、なかんづくボリビアではイゲラの聖エルネストと呼ばれる。

 イゲラはゲバラが政府軍に捉えられ、殺害されたあの村の名前である。

 そのボリビアだ、2006年、 ペルーのアレハンドロ・トレドに続いて南米大陸二人目のボリビアでは初の先住民出身となる大統領、エボ・モラレスが「社会主義運動」より就任した。

 現在、ボリビア民衆にとって、チェ・ゲバラは自分たちの守護神であると感じているだろう。 
 前編、後編の両方を見終わった跡の率直の感想として、後編こそがチェ・ゲバラそのものをあらわしているものとして大いに感銘を受けた。

 また、チェ・ゲバラになりきった男優、ベニチオ・デル・トロはすばらしい。


■腑抜けで「玉なし」の先進国の男達への警鐘!?強調文

 今、まさに世界中の男性が腑抜けで玉なし状態となっているなか、彼は「世界一格好良い男」となったのである!

 もし今、チェ・ゲバラがこの世に生きていたら、極致に達した「格差社会」をどう思うか、アフガン、イラクを侵略し続ける米国やガザの市民を虐殺するイスラエルをどう思うか、映画館からの帰り道、ふと感じた。
プロフィール

青山貞一

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